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Story
起点 〜銀師のはじまり〜
Heritage since 1611.
銀伝堂の物語は、四百年以上前に始まります。
源流は安土桃山から江戸初期にかけて活躍した金工師・平田道仁。1611年、徳川家康に召し抱えられ、1616年には江戸・呉服町に邸宅を拝領しました。七宝を用いた刀装具でその名を轟かせ、平田派の初代として知られています。これが「銀伝堂」の物語における最初の確かな記録です。
その後、平田派は代を重ね、七宝の技を武具や装飾具に展開しながら発展していきました。中でも重要なのが五代目・平田彦四郎(就門)(1670–1757、のちに本常と号す)です。江戸・湯島に拠点を置き、七宝だけでなく一般の彫金にも取り組み、その活動は後に鍛金平田派の芽吹きへとつながります。就門の時代に、平田派は七宝の枠を超え、多様な金工へと広がりを見せ始めたのです。
やがて18世紀初頭、湯島の地において平田禅之丞が鍛金・彫金・象嵌に特化し、銀を主素材とする仕事を本格的に打ち立てました。七宝平田からの枝分かれによって誕生したこの系譜は「鍛金平田派」と呼ばれ、ここに銀を専門に扱う「銀師」の系譜が確立しました。
当時の江戸で尊ばれた美意識は「粋」。洒落、遊び心、潔さを重んじ、実用の品に美を忍ばせることが「江戸の粋」でした。鍛金平田派の作品には、その町人文化の美学が脈打ち、使う者の暮らしを誇らしく彩っていったのです。
さらに大正時代、柳宗悦らによる民芸運動によって「用の美」という言葉が生まれると、銀師の仕事は新たに再評価を受けました。江戸の「粋」と大正の「用の美」
──この二つの精神をあわせ持つことが、銀伝堂の原点です。
そして近代。銀師八代目・平田宗幸は帝室技芸員に任じられ、東京芸術大学鍛金工芸科の初代教授として日本の金工界を牽引しました。その子である九代・平田宗道は後進を育て、その最も近しい弟子として修行したのが、のちの銀師十代・上川宗照です。ここに、平田家から上川家へと正統な技の流れが継承されました。
二代間にわたる宗照から宗伯へ。そして現在の十三代・上川宗氣へ。
槌音に魂を込める鍛金の精神は、四百年を超えて絶えることなく受け継がれています。
精神 〜鍛金に宿る魂〜
銀を打ち鍛えるという営みは、単なる技術ではなく精神の表現です。
一打一打の槌音には、職人の呼吸と祈り、そして未来へ託す想いが込められています。
江戸時代に尊ばれたのは「粋」の美学。洒落や潔さ、遊び心を大切にし、実用の中に美を忍ばせることが人々の誇りでした。大正期の民芸運動によって生まれた「用の美」という思想は、さらにそれを「暮らしに生きる美」として再定義しました。
銀伝堂が大切にしているのは、この二つの精神を受け継ぎながらも、ただ守るのではなく未来へとつなぐことです。変わらぬ本質を守りつつ、新しい時代の感性に応える
──それこそが「不易流行」の心。
伝統を次世代に伝えるために。
銀師の魂は、絶えることなく受け継がれていきます。
手仕事の価値 〜世界にひとつだけの輝き〜
銀伝堂の作品は、熟練の銀師が手作業で一から形づくります。量産品には決して生まれない槌目の揺らぎ、微妙な凹凸や輝きは、ひとつとして同じものがありません。銀は叩かれるほどに強くなり、長く使うほどに風合いを増していきます。器や装身具が「育つ」素材としての特性は、時を重ねる喜びを所有者に与えます。
何万回と槌を振るい、金属を呼吸するように鍛えることで完成する作品──そこに宿るのは、単なる素材を超えた「命のような輝き」です。
現代とのつながり 〜暮らしに息づく伝統〜
銀伝堂は、歴史に根ざしながら現代の暮らしと響き合う工房です。
バングルやリングなどの日常に寄り添うアクセサリー、祝い事や節目に贈られる記念品、そして工房での制作体験。どれもが「見て、触れて、使う」ことで初めて完成する伝統工芸です。体験を通じて槌を振るえば、その瞬間から作品は自分だけの物語を刻みます。
銀師の系譜が四百年を超えて守ってきたのは、単なる技ではなく「人の暮らしを美しくする力」です。
それは江戸の粋、大正の用の美を超え、いまを生きる私たちの感性にまで届きます。