銀に伝え、堂に宿す
銀伝堂とは
  • 銀伝堂は、銀という素材に人の想いを伝え、それを道具として宿す「堂」です。

    銀は、使うほどに風合いを深め、持ち主の時間とともに育つ金属です。
     

    その性質は、人生の節目や祝福を託す器として古くから人の暮らしに寄り添ってきました。
     

    銀伝堂では、代々受け継ぐ金工の技によって一打一打、銀に想いを伝えながら形を誂えます。

    それは単なる工芸品ではありません。
    人と時をつなぐ道具です。
     

    祝福の記憶が刻まれ、使われるほどに意味を深めてい

    く。
     

    銀伝堂は、そのような銀の道具を誂える日本の堂です。

    Heritage Since 1611

 

 

四百年を超える鎚の系譜

日本の金工の技は、祈りや儀式の道具として発展し、
やがて武家や町人文化の中で洗練されてきました。

銀伝堂の仕事はその長い時間の流れの中にあります。

金工師の系譜

538年(または552年

仏教公伝。百済から仏像や仏具とともに金属工芸の技術が伝わる。

仏具や装飾金工が日本で発展していく契機となる。

 

927年

『延喜式』が編纂される。

宮廷儀式で用いられる金属器や装飾品が制度として定められ、

金工は国家儀礼を支える重要な技術となる。

 

1611年

金工師 平田道仁 が徳川家康に召し抱えられ、江戸に拠点を構える。

七宝を用いた刀装具で名を馳せ、平田派の基礎を築く。

これが平田派の流れを汲む銀伝堂の物語の最初の確かな記録です。
 
江戸時代
平田派は代を重ねながら、七宝を中心に発展し、彫金・象嵌・鍛金など多様な金工へと広がっていきました。

五代 平田彦四郎(就門)

1670–1757

江戸・湯島を拠点とし、七宝だけでなく彫金など幅広い金工に取り組みました。

その活動は、後に鍛金平田派へとつながる重要な転機となります。

 

18世紀初頭 湯島

平田禅之丞 が鍛金・彫金・象嵌の技を発展させ、

銀を主素材とする仕事を確立。

ここに「銀師」の系譜が形づくられる。

 

近代

八代 平田宗幸は帝室技芸員に任じられ、東京芸術大学鍛金工芸科の初代教授として日本の金工界を牽引。

その技は弟子へと受け継がれ、銀師十代 上川宗照 へと継承される。

現在

 

この系譜は現在、

十二代 銀師 上川宗伯 と

十三代 銀師 上川宗氣 に受け継がれています。

受け継がれてきた金工の技をもとに、

銀に想いを伝え、

人の暮らしの中で使われる道具として形にする。

銀伝堂は、

人と時を紡ぐ誂の道を

現代に続けています。

 

未来

 

鎚の音は、四百年の時間を越えて

静かに受け継がれてきました。

銀伝堂はこれからも千代に八千代に、

銀に想いを伝え、祝福を宿す道具を誂え、

その仕事を次の時代へと手渡していきます。

手仕事の価値 〜世界にひとつだけの輝き〜
 

銀伝堂の作品は、熟練の銀師が手作業で一から形づくります。量産品には決して生まれない槌目の揺らぎ、微妙な凹凸や輝きは、ひとつとして同じものがありません。銀は叩かれるほどに強くなり、長く使うほどに風合いを増していきます。器や装身具が「育つ」素材としての特性は、時を重ねる喜びを所有者に与えます。

何万回と槌を振るい、金属を呼吸するように鍛えることで完成する作品──そこに宿るのは、単なる素材を超えた「命のような輝き」です。

現代とのつながり 〜暮らしに息づく伝統〜
 

銀伝堂は、歴史に根ざしながら現代の暮らしと響き合う工房です。

バングルやリングなどの日常に寄り添うアクセサリー、祝い事や節目に贈られる記念品、そして工房での制作体験。どれもが「見て、触れて、使う」ことで初めて完成する伝統工芸です。体験を通じて槌を振るえば、その瞬間から作品は自分だけの物語を刻みます。

銀師の系譜が四百年を超えて守ってきたのは、単なる技ではなく「人の暮らしを美しくする力」です。

それは江戸の粋、大正の用の美を超え、いまを生きる私たちの感性にまで届きます。

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